映画「地獄の黙示録」
ちょっと遅い記事になりましたが1月3日に観てきました。昔観たものとは編集が違うようです。でも随分昔のことなのでどこが違うのかよくわかりません。
最初のシーンはジャングルを焼き払うところで、これは最後のシーンとつながってるかな。カーツが「すべて焼き払え」と記したとおり焼き払ったのだろう。
邦題が「地獄の黙示録」となっているが、原題は「Apocarypse Now」で眼前の黙示録となるのだろうか。黙示録が秘密の暴露であるならコッポラは何を暴露したんだろう。
いろんな解釈ができる映画であるが、僕はカンボジアの奥地の原住民に囚われ、生き神としてのみこまれてしまったカーツの苦悩が見えた。どうも西洋人には黄色人種に対して根源的な恐れを持っているように思える。西洋人の驕り。少し違うがアフリカの人食い族に捕らわれた白人が神として奉られているような。論理・倫理では西洋人には理解不能であり黄禍論にもつながる。
儀式で牛の首を切り落とすシーンは、ウィラードがカーツを惨殺するシーンに重なり不気味さに拍車をかける。
囚われまともな思考のできなくなったカーツは、まだ正常な意識の残っているときに「すべて焼き払え」とノートに書き記していたと思われる。ウィラードが自分(カーツ)を早く処刑できるように、ウィラードの部下の首を切り落としてしまうのは最後に残った理性だろう。
自宅にあった完全版との違いはプレイメイトとのSEXシーンが無かったことぐらいかな。
東南アジアはフランスの植民地でフランス人たちの開拓村も登場するが、僕の記憶になかったので少し驚いた。初期の映像が無いので完全版を確認したがあったので昔観たときは寝てたのかな。
若きローレンス・フィッシュバーンやハリソン・フォードが出ているのはご愛敬。